同団体の動きは、震災発生後の3月12日に始まる。阪神淡路大震災の被災者であった佐藤尚之氏が、震災時には情報がライフラインになると自身の経験から訴え、松井孝治元官房副長官にメールで、官の情報を民のサイトで発信するプランを提案する。翌日、政府幹部に佐藤氏らが緊急プレゼンを行い、その場で承諾される。こうして、復興庁と連携した復興支援情報サイト「助けあいジャパン」の製作が始まった。
製作者を集める際に用いたのは、ソーシャルメディアだ。フェイスブック上で、広報やコピーライターなど情報産業分野の専門能力を持つ者を中心に呼びかけた。野田氏は当時、外資系企業に務めていたが、英語の翻訳能力があるとのことで、フェイスブックで誘いを受けた。この時点で、佐藤氏とは面識はなかった。しかし、政府と連携して情報を発信することへの期待で参加しようと思ったという。
フェイスブック上では、約300人のボランティア集団が集まった。お互い面識はなく、上司も部下もいないが、組織は円滑に機能した。「サイト製作」「記事翻訳」「ソーシャルメディア対応」などのグループごとに分けられて、それぞれがタスクをこなしていった。
野田氏は、約60人が集まった記事翻訳グループのリーダーを務めた。「全員ボランティアだが、プロフェッショナルの能力を持った人が集まったので、使命感を持ってかかわっていた」と当時を振り返る。
仕事終わりや休日にコミットし、震災から11日後の3月22日にサイトがリリースした。行政の情報を広報のプロフェッショナルが編集しているので、被災地における不足物資や必要な支援を分かりやすくまとめることができた。緊急支援フェーズに合致した情報を発信していたことで、すぐに話題を呼んだ。
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