齋藤友貴さん(26歳)は、扁桃腺の切開手術で、一カ月間、口がきけず、ひたすら、これまでの人生を自問自答する日々が続いたという。その中で、これまでの生活を一新するために、途上国支援のためネパールに向かい、自分を取り戻した。いったい、何に悩み、何が彼女を変えたのだろうか。(聞き手・オルタナ編集委員=高馬 卓史)
――病気で一カ月、どのような自問自答をしたのですか
齋藤:扁桃腺の手術で、一カ月間、口をきけない状況に陥った時に、自分の人生を振り返ることができたのです。栄養士をしていますが、それも、他人の目を気にしたり、親の安定的な職業についてもらいたいという希望に応えて、栄養士になったと思います。
だから、本来、自分がやりたい気持ちをおざなりにしてきた気がしたし、その上で、このまま生きるのが嫌になったのです。
――その中で途上国支援へのきっかけはなんでしょうか。
齋藤:ネットの検索で、「国際協力 音楽」で探したところ、EDAYAの山下彩香さんが、フィリピンの少数民族カリンガ族の伝統音楽の保存活動をしている記事に出会ったのです。
それで、山下さんに会おうと。偶然にも、その頃に、山下さんが、あるイベントのボランティア・スタッフを募集しているので、チャンスだと思って応募しました。そこで採用されて、色々と山下さんから直接、話を聞くことができました。
――そこで、音楽にこだわったのはなぜですか。
齋藤:私は、以前から出身地・山形の無形文化財である横笛を吹いていました。私自身が一番好きなのは、音楽なのです。本来、栄養士というよりも、音楽療法士の勉強もしていたので、音楽に関わる仕事をしたかったのです。
――あえて途上国支援を志したのは
齋藤:学校で途上国の現状を知った時に、ギリギリの状況で生活している人々に出会えば、生きるパワーをもらえる気がしたのです。そこで、もう一度、「国際協力 途上国 音楽」で検索をしたところ、JAICAのイベントがあったので、参加してみました。
そこで、ネパールで音楽教師を探していたのです。実は、ネパールの義務教育には、音楽、美術、体育などの科目はありません。だから、音楽教師もいない現状があったのです。だから、その場ですぐにネパールに行くことを決めました。
――ネパールではどのような授業だったのですか
齋藤:ネパールでは、小学校3年生から基本的には英語で授業をします。だから、片言でも英語で教えました。もちろん、私自身、英語が得意ではないので、最初の2週間程度は、楽器を弾いて身振り手振りで教えていました。ネパールの子どもたちに、国語や英語だけが勉強ではない、音楽など「心の教育」も必要なのだと教えることに努めました。
――ネパールの教育方針に、何か違和感を感じましたか
齋藤:ネパールでは、教師は竹の棒をもって授業をします。勉強ができない子どもは、先生が容赦なく竹の棒で生徒を叩きます。私は、それがとても嫌だったので、竹の棒は使いませんでした。生徒にも、「私は、竹の棒を使いたくはないから、おとなしく授業を受けて欲しい」と説明したところ、生徒も静かに授業を受けてくれるようになりました。
――ネパールで音楽教師をして得たものはなんでしょうか
齋藤:一番、嬉しかったことは、他人の愛情ですね。分かりやすい愛情表現で、気安く先生と生徒が、名前を呼び合う。あるいは、生徒から「先生、私のこと好き?」と聞かれて、「もちろん!」と応えると、すぐに頬にキスしてくれたり。
私は、育った家庭環境が、両親の不仲や姉の反抗など、決して穏やかではなかったので、そういう、ストレートな愛情に触れたことで、生き返る気がしました。
――これからの展望は
齋藤:今後も、音楽を通して途上国の支援を続けていきたいと思っています。
――途上国ではともすれば、音楽や美術と言った情操教育がおざなりにされやすい状況があります。ぜひとも、今後の活躍に期待したいですね。
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