ビジネスパーソンを途上国のNPOなどに派遣する「留職」を軸に事業を展開するNPO法人クロスフィールズ共同経営者の松島由佳さん。大学を卒業後、外資系コンサルティングファームを経てNPOを立ち上げた経緯を聞いた。
*この記事は、パラレルキャリア支援サイト「もんじゅ」からの転載です。
■プロローグ
最後に「自分の枠を超えた挑戦」をしたのはいつだろう。居心地が良く、マニュアル化された日々を送っていると我々はなかなか今の場所から動けない。あなたにとって今のレールから外れることは、不安なことだろうか。それともワクワクすることだろうか。
「クロスフィールズ」それは領域(Field)の橋渡し(Cross)をすることでの価値を創り出すという想いが込められている。日本と途上国、企業とNPOの業界等、様々な領域の橋渡しを行なうこの団体を創業した松島も、自分の枠を超える経験を何度もしてきたと話す。
■NPOへの漠然とした、あこがれ
子は親の背中を見て育つと言われている。松島もまた、父親の影響を強く受けて育った。出版会社でカメラマンとして働いていた松島の父は、40代後半の時に友人達と、NPOを設立。
国内でファンドレイジングを行い、その資金を元にカンボジアでの小児向け病院の建設をはじめた。サラリーマンとして働きながら二束の草鞋でNPOの経営をする父の姿を見て育ったため、非営利団体で働くということは小学生の頃から身近に感じていた。ただ、父がNPOを設立した1997年当時はまだ、NPOの黎明期。活動自体も世間ではなかなか理解してもらうのが難しいことが多かったという。
「実は小学生の頃、父がカンボジアに設立した病院が開院するときに、テレビに取り上げられたのです。幼心に遠い国の子どもたちのために力をつくす父が、密かに誇らしかったので、そのことを周りに告げたところ『ゆかちゃんのお父さんって何をやっているの?よく分からない』と言われてしまいました。情熱を持って社会のために活動している人たちが、世の中に変な目でみられることに納得できず、その時はとてもショックをうけましたね」
父の活動を好意的に受け止めてもらえないことに残念な気持ちを抱くと同時に、まだ黎明期のNPOの活動に資金や人を集めること難しいながらも必死で取り組む父の姿をみた松島はひとつ疑問を感じていた。
「『社会のために尽くしたいと情熱を持っている人や活動に、もっと必要な資源が集まるようになったら良いのに。今のままではもったいない。何かできることは無いのだろうか』とその頃から漠然と、モヤモヤしだしましたね」
中学生の時、父がカンボジアに設立した病院を家族で見に行った。東京生まれ東京育ちの松島には、そこで見た栄養失調によっておなかが膨らんでいる子どもたち、日本では目にしないような簡素な家や現地での暮らしに衝撃を受けたという。同時に、そこで生きる人たちの強さや、国内外からその病院で熱心に働く人達の様子から、自分たちの手で国を支え、良くしていくのだという生き方に自分の深い部分が動かされた気がしたという。
人は体験したことにこそ、本質が動かされる。「NPOって何をやっているかよくわからない」という友達の言葉、運営に必死で取り組む父の姿、カンボジアでの得も知れぬ高揚感とエネルギーに触れた経験、そのすべてが今日まで松島を突き動かす原動力になっていった。
■新しいプロジェクトとの出会い
大学へ進学後、松島の気持ちが向かった先は、途上国支援のNPOの活動への参加だった。ある日校内を歩いていると、立ち上げ初期のNPO団体のメンバー募集告知が飛び込んできた。カンボジアの児童買春防止活動を行う、認定NPO法人かものはしプロジェクト(以下、かものはしプロジェクト)との出会いである。
「父のNPOと同じようにカンボジアで事業を行っていたこと、そして当時のかものはしプロジェクトは自分たちでビジネスを行い、収益を上げながら支援をするという、寄付や善意に依存せずに活動をしていた点に惹かれました。父のNPOは寄付で集めた資金で運営をしていたので、それ以外の方法で持続可能な運営方法を学んでみたいという気持ちが芽生えたのです」
募集文を見た松島は、即座に電話をして活動に加わることになった。しかし、やはりまだNPOの活動に参加している人は「変わり者」だったため、なかなか周りに自分がしていることを話せなかったという。
「途上国やNPOに携わるというキーワードは持ち続けてはいたけれど、それまではレールの上をいく所謂「優等生」だったのです。しかし、かものはしプロジェクトに参加している人たちのように自分の気持ちに従って行動し、自由に自分の生き方を選んで決めている人たちと過ごし 『自分の枠を超えること』の面白さに気付いてしまいました」
■プロフェッショナルであれ
当時のかものはしプロジェクトは学生主体の組織ではあったが、その発展を支えたのは働きながらも時間を作って、活動に参加していた社会人の存在も大きかったと言う。ミーティングや資料作成の方法など、プロフェッショナルな仕事の進め方を見て、「ビジネス経験はNPOの運営にも役立つ」という実感を得た。
そんな、プロフェッショナルに活動をサポートしている人たちにも影響を受けた松島は、今度は自分がそのようなスキルを持った人になろうと卒業後はコンサルティングファームに入社する。 働きながらも、別のNPO団体でプロボノ活動し、今度は自分が仕事で培った力でNPOへ貢献することを実感できる日々に変わった。
「ビジネスの世界で働き、その仲間とプロボノ活動を2年間した中で、『ビジネスの世界でも、多くの人が自分の力を使って社会の役にたちたいと思っているんだな』と感じました。そして父のNPOのように、その力を必要としている場所もたくさんあるので、そこを上手くつなぐことはできないかなと考えるようになりました」
そうして勤務を続け数年。仕事に慣れてきた頃に松島は自分の方向性に悩みだしたという。薄れてきた自分の原体験の感触を取り戻すかのように、カンボジアに足を運び、父親の病院のスタッフに会いにいった。そして、かものはしプロジェクトでお世話になった人々にも話を聞いてもらい、「本当は何がしたいのか」と自分の心と向き合った。
「仕事をしながら二束の草鞋でNPOの活動に関わることはできるし、その世界の片鱗を感じながら生きていくことはできるかもしれない。それでもやっぱり『より自分が信じる道にいきたい』そう強く感じました」
■自分の信念を仕事にする
自分の気持ちが決まった松島は、これまでの経験を総動員し、そして、同じ想いを持つ仲間達と共に、社会人として経験がある人のスキルと、その力を必要としている組織をつなぐ仕組みを考えだした。
「NPO業界に携わってみたい人が、会社にいながらでもできる仕組みがあればもっと参加できる人が増えるのではないかと思いました。転職となると人生をかけた決断になりますが、そこまでしなくてもできることはもっとあるし、参加する方法が分かればやりたい人もいます」
後に共同経営者となる代表・小沼を含め、共にプロボノをしていた友人約10名で、半年ほどの構想期間を経て、会社にいながらも社会人がNPO活動に取り組めるようなクロスフィールズの構想を考え、タイミングがあったビジネスプランコンテストを通過。起業への階段を駆け上がっていく日々になった。
「コンテストに出したい!と小沼含む友人達に話をした時を覚えています。その時に『もし、通過したらどうするの?』と聞かれ、『会社を辞めて、これをやる』と答えたシーンは、今でも不思議と忘れられないですね。今考えると、周りの雰囲気でつい言葉がついて出てしまったのかもしれませんが」
本来、あまり深く悩まない性格だと松島は自分を分析する。これまでの人生はどんなことも「なんとかなる」という気持ちで前を向いて進んでいくことができた。しかし、起業してからの予測の付かないジャングルを進むような毎日に、悩んで夜も眠れなくなることがあったという。
「本当に上手くいくのだろうか」という気持ちを支えたのは、これまで共に活動をしてきた仲間たち。起業をしたのは小沼と2人だが、共に留職プログラムの構想を作った仲間は、法人化してからも会員になってくれ、そして松島の不安な気持ちさえも支え、常に応援してくれる存在だった。
こうして信念を貫き、起業家という枠へ飛びだした松島は、留職プログラムの立ち上げと導入にのめり込んでいくのだった。
■確信と可能性
起業したての頃は、留職を通じて派遣される人の成長と現地への貢献が両立するのか、どうしたら両立できるのかという不安や悩みがあったという。派遣者は突然途上国に行き、活動にあたり、マニュアルもない中で、自分はどうやって役立てるのかを人生の引き出しを総動員して考えだす。しかし、行った人自身の成長とともに、現地のNPOにも価値が出せなければ意味がない。
「続けるにつれて『現地に貢献した人こそが最も成長する』ということが分かってきました。『いい経験ができました』と受け身な人ではなく、「今の自分は、このNPOに対して本当に何ができるだろうか」と主体的になれる人がもっとも現地に成果を出し、そして真の意味で成長して帰国します。『貢献と人が成長することは同じ舳にある』と改めて教わった気がしています」
留職の経験者は、現地で本当に自国のために必死に人生をかけている人を目の当たりにする。
すると「自分は今の会社で社会のために何ができるのだろうか」と改めて考えだすようになり、帰国後の自分の働き方を見つめなおすようになるのだ。
「留職から帰ってきた人が、そこでの気づきや学びを日々の業務や仕事に活かし、社会の課題を解決するようなアクションを起こしてくれたら嬉しいですね。今いる会社で、もっと社会課題の解決につながるような事業を作ってもいいし、縁があったNPO団体と何かしてみてもいい。企業活動も元々社会に貢献する存在であると思うので、経済的価値だけでなく、より社会的価値を生むような事業に、ビジネスセクターの人と資金が流れていくような動きを創りだせればと思っています」
■NPOに惹かれる理由
幼い頃からの父の影響、そして培ってきた自分の経験。松島が一貫してNPOに惹かれ続け、身を投じる理由はなんだろうか。それは、「社会の課題を解決したい」という気持ちが1番なのではないと言う。
「もちろん、1つ1つの問題に対して何とかしたいという気持ちは持っています。けれども、私がNPOに惹かれ続ける理由は、社会問題を何とかしなくてはという憤りからではなく、そこで力を尽くそうという人のプラスのエネルギーに可能性を感じるからだと思います」
誰でも自分の力が役だっていると思うと幸せを感じる。そして今の社会を「何とか良くしようとしている人の力はとてもポジティブなもの。「もっと、そのポジティブな力を活かす社会にしたいという気持ちが強い。
そして今、NPOは善意と自己犠牲によって成り立っていると思われていた時代から、別の方法で持続可能なモデルを探求してきた人達によって、社会の認識が変化している実感があるという。
「NPOで一生懸命働いている人間が、正しく価値を認められて、その対価がきちんともらえたら、情熱の火を絶やさないでいられます。『よくわからない』と周りから言われた幼少期から比較すると、今の社会は大きく変わってきました。人の価値観や、社会の中で何か価値だと認識されるかというのは、時代が変われば変わるし、変えられるものなのだなと今は強く実感しています」
■エピローグ
何かを信じておきながら、それに生きない。–それは不誠実というものだ。というガンジーの言葉がある。
「やりたいこと、信じている道を突き進んでいる人の輝きとエネルギーは、計り知れないものだと思います。起業に踏み切ったのは、そういった人と出会ってそのエネルギーに魅せられたことと、一方で、自身でもやりたいこと・信じることが見えたときに、挑戦しないなんてもったいないと思ったからです。それに加えて、支えてくれる仲間がいたので『今だ』と思って、起業というチャレンジをすることができました」
私たちが一歩を踏み出そうとする時に、自分を現状に留めようとするものはなにか考えてみよう。
自分の気持ちから目を逸らさないこと。そして、その気持を後押ししてくれる仲間がいること。それさえあれば、私たちの枠を超える一歩を、より軽やかなものにできるのかもしれない。
松島 由佳:
東京大学卒業後、外資系コンサルティングファームへ入社。3年間の勤務を経て、共同経営者で代表の小沼大地とともにNPO法人クロスフィールズを設立。現在、ビジネスパーソンを途上国のNPO等に派遣する“留職”を軸に事業を展開し、NPOとビジネスが協働し、社会の課題を解決する社会を目指している。