震災には、大きく分けて二つの死の原因があるのをご存知だろうか。一つは「直接死」、4年前の東日本大震災においては、津波による溺死がこれに該当する。対するもう一つは、一度は助かったものの、避難所にて持病の悪化や、ストレスによる鬱の発症などを原因に命を落としてしまう「災害関連死」である。震災当時の避難所では、まさにこの災害関連死がいくつも起きようとしていた。(学生による被災地支援のための市民メディアプロジェクト支局=大武 芽生・武蔵大学社会学部メディア社会学科2年)
今回、私たち学生による被災地支援のための市民メディアプロジェクト支局は、震災当時、ビックパレットふくしま非難所県庁運営支援チームの責任者を務めていた天野和彦(あまの かずひこ)さんに、当時の支援活動及び、おだがいさまセンター設立の経緯とそこでの取り組みについて話を伺った。
当時の写真を見せながら一言一言を語り聞かせるように話してくれた天野さん
2011年4月11日、天野さんは県庁の支援チーム7名の責任者として、大規模避難所となっていたビックパレットふくしまに派遣された。ビックパレットふくしまには原発の問題により強制的に2500人以上が避難してきており、支援に当たっていた行政の職員たちも限界を迎えていた。
「いつ人が死んでもおかしくない」――1日も早い正常化が望まれる状況で、天野さんは「住民の命を守ること」を最高のミッションとして、すぐに職員たちへヒアリングを行い、避難経路図と避難者の情報をまとめた名簿の作成に取り掛かった。
「命を守るためには、医療的なケアと福祉的なケアの両方を含めた総合的な『生活支援』という視点が必要で、元になるのが『自治』なんです」と天野さんは語る。その自治形成を目的に、ビッグパレット内に設立されたのが「おだがいさまセンター」である。
ぞれぞれが「困ったときはお互いさま」の精神を持つという意味を込めており、「た」に濁点が付いているのは東北ならではの訛りだそうだ。
館内に着替えや授乳、悩み相談のできる女性専用スペースの設置から始まり、交流の場としての喫茶コーナーの立ち上げ、敷地内の除草・花植え活動などにも取り組み、避難者自らが生活復興に向けて動き出すのを支援した。
上記以外にも様々な取り組みがされたが、いずれも共通項があるのだと天野さんは言う。「市民と専門機関、あるいは専門的な知識や技能を持つ個人や団体との共同、ということのんです」。
女性専用スペースは、運営を男女共同参画ケアセンターに頼み、ノウハウを提供してもらうことで、県庁チームが気付かなかった問題に対応できるようにしたそうだ。「避難所は人権の問題の塊。誰かが、避難所を自分にとって生きづらい、居づらいものだと感じたら、それは即ち人権の問題です」。
今回の取材で、当時の被災地域の人々の壮絶な生活とそれらを支援する人々の話を聞き、ただニュースを見ているだけではわからなかった「現場」を感じた。貴方にもぜひ、同じ状況に自分が置かれていたらどうだったかを一度考えてみてほしい。「おだがいさまセンター」は今日も、自治の真ん中にある。
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