タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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◆歩く

三協商事のビルを出ると啓介は大手町の方に見当を付けて歩いた。電車が止まって、乗客は乗ったままらしい。道行く人がそんなことを言っていた。地下鉄新日本橋の駅から人が少し溢れていた。地震のせいかは分からないが、ワゴン車に乗用車が追突していた。緊急車両のサイレンが不気味に響く。

車は流れていたが、タクシーの空車は見つからない。建物から人々が出て来て、不安げに上をうかがっていた。気のせいか気味の悪いうろこ雲が西の空を南北に走っていた。晴天から雨がぱらついてきて、広島の原爆投下と雨の話を思い出した。薄気味がわるい。江戸通りを歩いて首都高をくぐった。

おおよその見当をつけて西に歩くと広い永代通りに出た。ビルのサイズがだんだん大きくなる。しばらく歩くと人通りが多くなった。人の流れは啓介と逆方向だ。帰宅が始まったらしい。リクルートの若者達もほうほうのていで逃げ帰っているのだろう。暗く顔のない群れが東へ移動して行く。流れに逆らうのは不安なものだ。

馬喰町から大手町

馬喰町から大手町

街路樹は芽を付けておらず、まるで魚の骨が累々と立っているようだ。余震は度々地面を揺らす。大きな枝が裂け落ちている。その枝を避けて歩こうと脇に寄ると、路地にラーメン屋の暖簾が赤く見えた。急に腹ごしらえをしなければと思った。そのままラーメン店の方に向かってガラス戸を開ける。

地震のせいか建て付けがとても悪い。60がらみの店主が一人で立ったままテレビをみている。客は誰もいない。店主はこちらを振り向きもせずにカウンターに置かれた古テレビを見ていた。どこかの海岸に大波が押し寄せている映像が映っていた。大波が何艘かの漁船を浜に打ち上げている。波が堤防を越して、船も堤防を乗り越えた。

後ろ向きで打ち上げられる舟、横倒しになって翻弄される舟。誰かが「危ない」とか「逃げろ逃げろ」と叫んでいる。画面が揺れている。その映像は度々途絶える。そして画面が変わる。アナウンサーが登場して「東北地方の沿岸が未曽有の大津波に洗い流されている」と興奮を押し殺して語っている。東京湾にも来るかもしれないと啓介は思った。それならなおさら食っておかなければ。「ラーメンに餃子二皿」啓介が注文すると店主はテレビを見ながら支度を始めた。啓介も地震で落ちなかったテレビを見ながら、カウンターの丸い椅子の一つに座った。津波が来ても食ってから逃げよう。また揺れる。揺れる度に道に人が出てくる気配がして金切声も聞こえる。

文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。

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