晴天の3月5日、明治神宮野球場で軟式と硬式それぞれ一試合ずつ少年野球の試合が行われた。福島から来た2チームが東京のチームと対戦したのだ。硬式の福島リトルは小平リトルと、軟式の小名浜少年野球教室スポーツ少年団は文京区を拠点とするレッドサンズとそれぞれ交流試合を行った。これは伊藤忠商事や明治神宮外苑、東京ヤクルトスワローズなど青山の企業・組織が協力した復興支援の一環として実現した。原発による影響が続く福島県では野外での活動に制限があり、子どもたちはスポーツの練習も思うようにできないという課題がある。(オルタナS副編集長=池田 真隆)

小名浜少年野球教室(赤)とレッドサンズは投手戦になった

「震災前は100人いたけど、今では35人に減った」――。こう話すのは、2016年全日本福島選手権の王者であるチーム福島リトルの宗形重男監督。原発事故の避難によって、福島リトルの人数は、3分の1に減り、さらに、かつて同じ福島県内にあった双葉リトルはチームそのものがなくなってしまったという。

人数が減ったのは、福島リトルだけではない。宗形監督は「震災以降、原発に対する目に見えぬ恐怖から外で運動できる環境にない。運動する子どもが減り、野球チームだけでなく、サッカーやラグビーなどのチームも減ってきたと聞いている」と話した。

福島では規制によって、屋外に出る機会が制限され、また、避難指示が解除されても、帰還する人がいないなどの理由で、スポーツクラブが相次いでなくなっているという。

それは、子どもたちにも大きな影響を及ぼしている。本来、発達期でもある為、運動不足による体力・筋力低下、肥満等も課題だ。福島県庁によると、2016年度の5~17歳の県内の肥満児は都道府県でワースト1位を記録した。事故が起きる前の2010年は下から15位だった。

試合を終えて、両チームは健闘を称え合った

40年の伝統がある軟式チーム、小名浜少年野球教室スポーツ少年団の小和口有久監督も、「60人にいたが半分の30人にまで減ってしまった」と話す。同チームでは震災直後の1カ月は練習を中止して、再開するにあたって保護者には「危ないと思ったら、練習には来させないでください」と伝え、各自の判断に任せた。

野球に対する情熱だけは忘れさせたくないと、監督や保護者が様々な苦難や課題を乗り越えながら、チームを守ってきた。その甲斐があって2016年度の全国スポーツ少年団軟式野球交流大会福島県大会で優勝している。

福島リトル(紺)と小平リトルの試合は点の取り合いに

■青山が一体となり、復興支援

神宮球場での試合が実現した背景には、青山周辺の企業・組織が協働したことがある。伊藤忠商事では、震災直後から社員ボランティアの派遣を行ってきたが、2年経過すると被災地のニーズも変わってきたことから2013年3月に「伊藤忠子どもの夢ファンド」を創設し、被災地の子どもたちの夢を応援する復興支援活動を行ってきた。

これまでも、統廃合された被災地の学校の部活動ユニフォームや道具等の購入費の助成、ラグビー交流試合やスノーボード教室等のスポーツ支援、その他ジュニアコンサートや音楽教室、英語サマーキャンプなど、東北の子どもたちが震災を理由に自分の夢をあきらめないような、将来につながる支援活動を現地NGO等と連携して注力してきた。

今回、6年目の3.11を目前に控え、伊藤忠商事が調整役となり明治神宮外苑やヤクルト球団などの協力を得て、神宮球場が使用できることになり、福島県庁やNGOなどを通じ福島県内のチームに声をかけた。

伊藤忠商事 CSR・地球環境室の猪俣恵美は語る。「復興への課題が長期化する福島で暮らす子どもたちに、私たちが何かしてあげられることはないかとずっと考えていた。公益財団法人日本リトルリーグ野球協会、公益財団法人全日本軟式野球連盟に会いに行き、強豪福島チームの相手となる東京チームを相談した。準備の時間が少なかったにも関わらず、関係者の心はひとつ。福島の子どもたちへの温かい気持ちが全ての課題をクリアにしてくれて、とんとん拍子に決まっていったので本当にありがたかった」

野球人の憧れである神宮球場で試合ができたことで、子どもたちは大好きな野球に夢を膨らませ、目標を見出したことだろう。宗形監督は、「辛い時期を過ごしてきたが、今日は一生の思い出になった」と話した。

小和口監督も、「今日は朝暗いうちに福島を出てバスでやってきた。本当に良くやった。ここで試合ができることは、子どもたちにとって、将来の励みになる」と目を細めた。

福島リトルと小平リトルの試合後は両チームの選手全員で記念撮影

小名浜少年野球教室のショートで出場していた比佐ゆずきくん(小学6年)の母親・きよみさんは、「今日が6年生にとっての卒団式だったので、最高のプレゼントになった」と喜んだ。

東日本大震災から明日3月11日で、6年が経過する。2月末時点で12万3千人いる避難者のうち福島県の避難者は8万人弱に及び、半数以上を占める。震災から6年が経過するが、支援活動が長期化し、支援ニーズも多様化した。新たな課題も出てきている。復興のあり方も時間とともに変わる。企業やNPO、行政が協働し、現地の人に寄り添った復興がなされていくことが大切だ。

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伊藤忠商事では今年も社員募金を行っている。また3月11日には、伊藤忠青山アートスクエアで1日限りの岩手県陸前高田市物産展を開き、同市で作付けしたブランド米などを陸前高田市の市役所職員と共に販売する。全国公募169点の中から「被災地からみんなで夢を追いかけ、夢を乗せ、期待を乗せた」ブランド名として「たかたのゆめ」と名づけられたお米は、まさに復興のシンボルでもある。

同ギャラリー館内では、障がい者によるアート作品などを展示する「MAZEKOZE ART3」を開く。田崎飛鳥さんの作品「奇跡の1本松」の絵画は、この日限定で展示される。必見だ。
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