メロンパンの販売を通してコンゴ支援を行う平井萌さん(24)は起業へ向けて準備中だ。コンゴで紛争被害に遭った女性たちの自立支援になる事業を、来春をめどに立ち上げることを目指している。「一度就職してしまうと、いまの気持ちではやれないはず」と、去年の春に大学を卒業したが就職をせずに、起業資金の500万円を集めるために奔走してきた。(オルタナS編集長=池田 真隆)
平井さんは茨城県出身の1992年生まれ。2016年3月に専修大学法学部を卒業した。高校生のときに食べたメロンパンの美味しさの虜になり、それ以来はまった。「週に3日以上は食べている」というほどのメロンパン好きだ。
大学1年のときに、コンゴ民主共和国で起きている鉱物資源を巡る紛争について知った。犠牲者は第二次世界大戦以降最も多く600万人にも及ぶ。争いの原因となっている資源は、多くの日本人も使用するスマートフォンのバッテリーを長持ちさせるコルタンなどだった。IT化が進み、豊かになる国もある一方で、犠牲者が生まれる構図に、平井さんは疑問を感じた。
コンゴ支援になる活動を始めようと考えたのは3年生になってから。そこで思いついたのが、大好きなメロンパンだった。全国のメロンパン屋から商品を集めて、販売する「メロンパンフェスティバル」を開いた。メロンパンを販売するだけでなく、コンゴの紛争についてのトークイベントなども行い、来場者に啓発した。経費を除いた売上の一部はコンゴ支援団体へ寄付する。2014年の1回目には300人が来場した。8割が20代の女性たちだった。
その後、毎年開いており、広告費は掛けていないが、口コミやSNSを通じて、広がっていった。今年5月に開いた4回目となるメロンパンフェスティバルには2日で2000人が訪れた。全国23店舗のパン屋が出品し、2日間で約9000個の商品を売り上げた。経費を除いた売上は寄付ではなく、起業資金として使う。
■メロンパンからアパレルブランドへ
平井さんは、コンゴで紛争被害に遭った女性たちの自立支援につながるアパレルブランドの立ち上げを考えている。コンゴではNGOなどが、被害に遭った女性たちの手に職を付けるため、洋裁技術を教えている。
しかし、その女性たちの受皿になる雇用先が限られているのが現状だ。そこで、平井さんは自身でブランドを立ち上げて、雇用することを考えた。
いきなりコンゴで仕事をすることは治安の問題から難しく、まずはルワンダで紛争被害を受けた女性たちを雇用しているアパレルメーカーと組むことを考えている。日本の若い女性にも好意を持ってもらえるようにリブランディングし、ネット販売を行う計画だ。
昨年の秋ごろからは大手アパレルブランドの輸入部でアルバイトをしながら、ファッションについて学んでいる。「輸入部にいることで、バイヤーがターゲット層に分けて世界各国から購入してきた商品を見ることができ勉強になっている」と話す。
起業は来春までにはしたいと考えているが、ネックなのは資金集めだという。自己資金と融資を受け、500万円を元手に始めたいという。
メロンパンフェスティバルは数千人を集められるイベントに成長したが、収益率は高くない。パン屋から出品料は取っていなく、来場者からも入場料を取っていない。パン屋から商品を買い取り、代理で販売する。運営スタッフは有志メンバーが協力してくれるので、人件費は掛からないが、総売上から会場代と商品の買い取り代を引いた額が利益となる。赤字ではないが、「黒字はわずか」と言う。
しかし、大学を卒業しても就職せずに活動を続けたのは、「続けることに意味があると思っていて、一度就職をしてしまうと今と同じ気持ちではやれないだろうと思ったから」と話す。
「やっていて楽しいと思うことはほとんどなくて、毎回やりたくないと思う」と明かすが、「救われるような思いをすることが少しでもあったりするから、それが原動力になっている」。
例えば、大学を卒業して本当にこの道を選んでよかったのか悩んでいたときにも救われた出来事が起きた。メロンパンフェスティバルについてラジオに出演したとき、偶然、そのラジオをコンゴ大使館の秘書が聞いてくれていた。
メロンパンフェスティバル当日にその秘書が大使を連れて、遊びに来てくれたという。今では、大使館から後援をもらうまでになった。「もし就職していたらこの出会いもなかった」と笑顔を見せる。
メロンパンフェスティバルは今秋に京都で開催を予定している。平井さんは起業へ向けて超えるべき壁と向き合い、乗り越えようと悩みながら前に進む。
*このシリーズ「オルタナティブな若者たち」では、大学卒業後、移住や起業、世界一周など、一風変わった進路を選んだ若者を紹介しています。
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