宗派を超えたお坊さんが中心となって、お寺の「おそなえ」を、必要としている人たちに「おすそわけ」する活動を行う特定非営利活動法人おてらおやつクラブ。大人だけでなく、子どもたちもまた生きづらさを抱えている現代だからこそ、一人でも多くの子どもたちに笑顔になって欲しいとある事業に力を入れています。人形劇を通じて笑顔を届ける「おてらおやつ劇場」を紹介します。(JAMMIN=山本 めぐみ)
「お坊さん兼劇団」として笑顔を届ける
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おてらおやつクラブが「子どもたちに直接笑顔を届けたい」と力を入れているもう一つの活動が、お坊さんによる人形劇と紙芝居の上演活動「おてらおやつ劇場」。生の舞台を通じて子どもの心を養っていきたいと、浄土宗の僧侶である山添真寛(やまぞえ・しんかん)さん(51)が各地で上演を行ってきました。
「おてらおやつ劇場は、『浄土宗の劇団ひとり』を名乗る私が、一人で現地へお伺いし、セッティングして劇を演じ、片付けて帰ります。世間では子どもへの虐待のニュースが後を立ちません。その事件一つひとつに対して何かができるわけではありませんが、人生の中で縁あって人形劇をやるようになった僕が、劇を通じて子どもたちの心に小さな灯りをもし一つでも点すことができたら、きっとやる意味があるのではないか」と山添さん。これまで数多くのステージを上演してきました。
「人形劇で呼んでもらえるお坊さんになりたい」
滋賀県甲賀市信楽にある浄土宗の寺「浄観寺」の次男として生まれた山添さん。22歳で僧籍(僧侶の資格)を取ったものの、すぐに僧侶になったわけではなく、東京に出て6年間、劇団員をしていました。
「その後、叔母が児童教育のための人形劇を企画する会社をしていた縁で、そこに就職してイベント企画や営業などの仕事をしました。40歳を前に会社が故郷の滋賀に移ることになり、その時に叔母から『40を前に、あなたも身を売りなさい』と言われまして、叔母が懇意にしていた丹下進(たんげ・すすむ)さんという人形劇界の第一人者の方にご指導いただき、そこから人形劇をやるようになりました」
40歳で故郷に戻った山添さん。僧籍を取った22歳の時は「自分みたいなチャラチャラした人間はお坊さんになったらあかん」と真面目に考えていたといいますが、20年の歳月を経て「お坊さんって面白い。自分のような者でもお坊さんになって良いのではないか」と思うようになっていたといいます。
「念仏を唱えることや亡くなった方を弔うことは、僧侶の大切な仕事です。しかし一方で『自分が持っているもので人に喜んでもらいたい』という思いがあった。実家のお寺を手伝い始めた時には人形劇の上演も始めていたので、『人形劇で呼んでもらえるお坊さんになりたい。きっと求めてくださる方もいるのではないか』と、お坊さん兼劇団として一人で活動を始めたのが、今のスタイルになった原点です」と当時を振り返ります。
クロスオーバーし始めていた仏教界、「おてらおやつクラブ」との出会い
「その当時、まだ浄土宗は浄土宗、浄土真宗は浄土真宗というように、仏教の中には宗派の壁がありました」と振り返る山添さん。しかし「仏教界のニューウェーブ」と呼ばれる、宗派を超えて活動するお坊さんが少しずつ現れ始めたといいます。
「おてらおやつクラブ代表の松島もその一人。そんな流れから、人形劇も宗派にこだわらず徐々に各地に呼んでいただくようになりました。10年が経って、今や宗派を超えての活動はスタンダードになっています」
「宗派が異なれば毎日手をあわせる仏さまも違うし、唱えるお経も違います。個人それぞれの知識の差も出てきます。でもおてらおやつクラブのメンバーは皆、『仏の教えをもって皆に笑顔になって欲しい』という同じ意志のもと活動している」と山添さん。
「活動にあたって、檀家さんに勧誘しようとか、信者を獲得しようという意図は一切ないし、そういった行動もとっていません。ただ、仏さまの教えが私たちの原動力になっているという点は同じです」
「(おてらおやつクラブ代表の)松島と活動するようになった時、彼から『困っている人たちがいること、そしてお寺の『おそなえ』を『おすそわけ』していることを、上演先のお客さんたちにも伝えてほしい』『活動に必要な資金を集めてほしい』という二つのお願いがありました。以来、おてらおやつクラブの募金箱を持って上演先を回るようになりました」
「おてらおやつクラブはおやつを通じて子どもたちに笑顔を届け、おてらおやつ劇場は上演を通じて子どもたちに笑顔を届けます。ツールこそ異なりますが、どちらも笑顔を届けるための活動で、根底にあるのは同じ思いです」
「お寺が心も門も日ごろから開いていない限り、肝心な時に開かれない」
40歳で滋賀に戻ったのを機に、実家のお寺を手伝い始めた山添さん。そうするにあたり、仏教を勉強し直すために布教師(仏教の説教を専門とする仕事)の養成講座に通ったところ、ある疑問が湧いたといいます。
「僧籍をとった時とはまた異なる角度から、仏教に関するさまざまなことを学ばせてもらったのですが、何せ難しい言葉が多くて…。『こんな難しいこと話して、聞いている人はみんなちゃんと理解してくれはるんやろうか』と疑問に思っていました」
「お寺で説教を聞いたけど難しくて理解できなかったら、次も来たいと思うでしょうか。難しい言葉を並べたところで、聞く方は全然頭に入ってこなかったり、寝てしまったりすると思いました。仏さまの教えを自分で咀嚼して、人形劇に落とし込んでお伝えすることができたら、みんな笑顔になって帰ってくれるのではないだろうか。その方が『また来たい』『また聞きたい』と次につながるのではないだろうか。僧侶として、そして演者として、そのために自分ができることがあるのではないかと思いました」
そんな思いから、東京時代に知り合った一流の演者たちをお寺に招いたショー「おてらDEしょー」を開催した山添さん。これが大好評だったといいます。
「しばらくしてから、ある時お葬式がありました。その時に、ご遺族の奥さまから『ショーで来ていたから、スッとお寺に行けました』と声をかけてもらったんです。ショーを観に来てくれた、『たかがあの時』なんやけど、その時のおかげでお寺に対して抵抗がなかった、と。『お寺を開放するって、こういうことや』と思ったんです」
「信楽では、過去に大きな水害がありました。災害の絶えない昨今ですが、もしも非常事態が起きた時、お寺が心も門も日ごろから開いていない限り、肝心な時に誰もやって来ないと思うんです。土地柄もあるでしょうし、お寺さんやお坊さんのキャラクターもあるので、何が正解というのはないけれど、平素からお坊さんの行いとして『開く』ということが、何かあった時、地域を支える大きな力につながっていくのではないでしょうか」
「包み隠さず、全力で演じ切る」
上演の際にどんなことを意識されているのか、山添さんに聞いてみました。
「『ウソをつかずに全力でやる』ことに尽きます。子どもたちが求めているのは、僕がおもしろいか、おもしろくないかだけ。だから、僕はそこに全力投球するだけ。『包み隠さず表現する』ことに全力で挑むだけです。それで子どもたちが『おもしろいな』と思ってくれたら、最後まで一生懸命観てくれる」
「もしかしたら、子どもたちに『うわぁ、この大人、ここまでしよる!』と思われているかもしれません。でも、それもあって良いと思います。子どもが家に帰ったら、もしかしたらお父さんもお母さんも怖い顔をしているかもしれません。でも、『人を笑わせるためにここまでやる、こんな大人もいる』って知ってくれたら、ちょっとは大人への不信感を和らげてくれるのではないだろうか。そうなったらいいな、そんな思いでやっています」
「人形劇を観て笑う。それは本当にちょっとしたことです。ちょっとしたことやけど、笑顔でいっぱいに包まれた、温かい空間に身を置いた経験があることで、変わってくることがあると思っています。生きていく上で何かしんどいことがあった時、生きづらさを感じた時、『あんなことがあったな』『みんな笑っていたな』とこの空気感を思い出してくれたら、そんな嬉しいことはありません」
「児童養護施設で上演した際、職員の方から『毎晩、寝ている子どものわめき声や奇声が聞こえるのに、山添さんの劇があった日は、しーんと静かで穏やかな夜でした』と言ってもらったことがありました。ものすごく嬉しかった。児童養護施設では特に、上演中に反応がない子、笑わない子の存在をより大きく感じます。観る余裕や笑う余裕がなくても、僕がすべてを注いで演じる劇が、子どもたちが何か温かいものに触れるきっかけになってくれたらすごく嬉しいし、そうなってくれたらと願っています」
師匠の思いを受け継いで挑む、新たな作品
山添さんに人形劇を指導したのは、人形劇の演出家としても知られる丹下進(たんげ・すすむ)さんでした。丹下さんは2010年、72歳で亡くなる直前まで、人形劇を通じて子どもに笑顔を届け続けたといいます。
「人形劇って難しくて、手で人形を動かしながら一方でセリフを言わなければならない。セリフを言えば手が止まるし、手を動かせばセリフが出てこない。最初は全くできませんでした」
「生前、丹下さんは僕に『作品を三つ作ろう』とおっしゃっていました。というのも、三作品あったら、一つの幼稚園で毎年一つ上演させてもらって、園児が同じ劇を見ずに卒園できるから。『三作品あったら一生できるよ』と教えてくださっていたのですが、一つ目の作品『さんまいのおふだ』を教えていただいた後、他界されました」
その後、丹下さんの上演DVDを何度も繰り返し見て台本を書き起こし、二作目の作品「きつねとたぬきのばけくらべ」を習得した山添さん。師匠と約束した三作品目への思いが消えることはありませんでした。
「日本昔話『ぶんぶく茶釜』をアレンジできないかとずっと考えていましたが、話が前に進まず…。そんな時に、松島から『三作品目を作ろう』と言ってもらい、今、脚本家さんや人形作家さんにお願いしながら、念願であり幻の第三作品目を作っているところです」
人形劇への思いをつなぎ、
外出できない子どもたちに笑顔を届け続けたい
チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、「おてらおやつ劇場」と1週間限定でキャンペーンを実施し、オリジナルのチャリティーアイテムを販売します。「JAMMIN×おてらおやつ劇場」コラボアイテムを買うごとに700円がチャリティーされ、新型コロナウイルス感染拡大を受け、休校や休園などによって外出できないこどもたちに笑顔を届けるための資金となります。
「現在の状況下では直接現場に行くことは難しいため、オンラインでの上演を通じ、笑顔と心温まる空間をお届けできればと考えています。今回のチャリティーは、そのための準備資金として使わせていただければ。感染拡大の影響で当面の上演がキャンセルとなり、私たちにとっても厳しい状況ではありますが、また皆さまの前で上演できる日を楽しみに、そしてその時にはさらなる笑顔を届けられるように、新作制作に打ち込む所存です。皆さま、ぜひお力添えくださいませ」(山添さん)
これまで「おてらおやつ劇場」の上演を通じて子どもたちに笑顔を届けてきたおてらおやつクラブ。新型コロナウイルス感染拡大の状況を受け、(1)おてらおやつ劇場のオンライン化、(2)おてらおやつ劇場のプラットフォーム化、(3)新作制作の3つの新たな取り組みを通じ、これからも笑顔を届けていきたいと話します。
JAMMINがデザインしたコラボアイテムに描かれているのは、森の中の楽しそうな上演風景。観客を喜ばせる三つ目の山添さん、魂を吹き込まれリアルに動き始める人形たち、劇に夢中になる観客たちの姿を、コミカルなタッチで表現しました。
チャリティーアイテムの販売期間は、4月13日~4月19日の1週間。チャリティーアイテムは、JAMMINホームページから購入できます。JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中!こちらもあわせてチェックしてみてくださいね。
・紙芝居や人形劇を通じ、子どもたちに笑顔を。温かな空間に身を置いた経験が、いつかその子の大きな力に〜NPO法人おてらおやつクラブ おてらおやつ劇場
山本 めぐみ(JAMMIN): JAMMINの企画・ライティングを担当。JAMMINは「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週NPO/NGOとコラボしたオリジナルのデザインTシャツを作って販売し、売り上げの一部をコラボ先団体へとチャリティーしている京都の小さな会社です。2019年11月に創業7年目を迎え、コラボした団体の数は300を超え、チャリティー総額は4,300万円を突破しました!