4月7日に政府は新型コロナウイルスの蔓延に対する対応策として主要都市に緊急事態宣言を発令し2週間が経過した。各自治体は特別措置法に基づき外出自粛要請と施設の使用制限に関する事業者への要請を行っている。(弦巻星之介)

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二人の子どもを持つ筆者が困ったのは、保育園と学童保育が休止してしまったことである。幸い、筆者の場合は、筆者が医療機関に勤めていることと妻が在宅勤務及び障がい者であるという理由で、応急保育の対象となり事なきを得た。しかし実際には、緊急時に福祉を後回しにされたことについて会社の理解を得られずに困っている人は多くいる。問題は、「自粛」という言葉のもとにそうした人たちが「困っている」と口にすることすら許さない世間の空気だ。

「こんな時だからこそ、自分の子どもの面倒くらい自分でみれないのか」
「保育士さんのことを考えろ」
「子どもをウイルスにさらす気か?」

ネットにはそうしたコメントが溢れる。保育士さんにも生活があることも、子どもにも感染リスクがあることも確かに事実だ。でも、世の中には様々な境遇の人がいて、「こんな時くらい」子どもを家でずっとみていたくても、仕事を休めなかったり、休めたとしてもそもそもそれが難しい境遇の人がいたりすることもまた事実だ。

緊急時だからって障がい者の障がいがなくなり、子や高齢者のケアが要らなくなる訳ではないのである。

新型コロナウイルスは怖い。でも、それよりも怖いのは、人々が不安のあまりに自分とは違う誰かを叩くことではないだろうか。日本に逃げ出してきた中国人への差別。まるで咎人のように扱われる感染者。朝からマスクやトイレットペーパーを買い占める高齢者に、繁華街をうろつく若者たち。

自戒も込めて言うが、新型コロナウイルスが上陸してから、日本人は常に自分とは違う誰かに怒りをぶつけようとしているように思える。まるで誰かに怒りをぶつければ、自分の正しさを確認するかのように。

「こんな時だからこそ」ウイルスを克服するために団結しなければならない。そうだとしても、他人を叩くために団結することだけはどんな時もあってはならないのではないか。

「こんな時だからこそ」必要なのは、自分とは境遇の違う他人への寛容さであり、困っているかもしれない他人への想像力ではないのか。

特効薬やワクチンが生まれれば、ウイルスは克服できるかもしれない。でも、憎悪や不信感へのトラウマにつける薬についても、わたしたちは今から考えておくべきではないだろうか。

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