小学校にあがっても、持ち前の明るさですぐに周りと打ち解けた。特別支援学級ではなく、普通学級に入り、友達も多くできた。あるとき、担任の先生に、「うちの娘がいつもお手数おかけして申し訳ないです」とあやまったことがあるが、「とんでもないです。翔子ちゃんがいると、クラスみんなが穏やかになって、優しくなれるのです」と返してくれた。
勉強もスポーツも何をしても、いつもビリでいる子がどうしてそんなことができるのかと泰子さんは不思議に思った。でも、あるときその考え方は変わった。ビリを引き受ける子がいることで、周りの子に良い影響を与える。神様は、この世の中に不要なものをつくらないのだと思った。
3年生までは、何の問題もなく学校生活を過ごしていたが、4年生になると身障者学校へ転校してくれと、いきなり学校側から打診された。泰子さんは、「それまでみんなと仲良くしていたのに、すごくつらかった」と話す。
転校するまでの半年間を機会に、書を本格的に教え始めた。般若心経を何度も何度も書かせ、3000字ほどに及んだ。泰子さんは習字教室で講師も務めており、子どもに教えることには慣れていたが、わが子には、すぐにカッとなり叱ってしまっていたという。
しかし、この厳しい教えもあって、書家への道が開きだした。泰子さんは、「あのまま普通学級に通っていたら、今の翔子はいなかった」と振り返る。
■人生最初で最後の個展に絶賛の声