4日、伊藤忠青山アートスクエアで、金澤翔子さんによる席上揮毫が行われた。母親の泰子さんに支えられながら、「慈愛」の二文字を大きさ1メートル50センチほどの半紙に書いた。
翔子さんは、日本一のダウン症の女流作家として知られる。5歳にして母・泰子さんに師事し、書道を始める。20歳のときに初めて開いた銀座書廊での個展が評判を集め、建長寺や東大寺など多くの場所で個展を開催してきた。
泰子さんは、「純粋な心を持っているので、書で人の心を動かすことができる」と、自慢の一人娘を讃える。2015年には、国連本部で日本代表としてのスピーチも決まっており、将来が期待される書家だが、翔子さんが生まれた当時は、今では考えられないほど絶望に陥っていたと、泰子さんは振り返る。
泰子さんは、翔子さんが生後50日後にダウン症と宣告されてから、ともに心中する方法をノートに記し始めた。「常に、どう始末したら良いのかを考えていたから、ミルクをあげるときも、自然と涙が出てきた」と話す。
しかし、幼い翔子さんは、母親の頬をつたう涙を見ると、一生懸命にその小さい手を伸ばし、頬を叩き涙をぬぐった。その姿から、少しずつだが、成長していくわが子に希望と信頼を持ちだし、育てていくことを決意する。
■ビリの地位を引き受けた