ここで、シリアの地理をもう一度見てみたいと思う。

北はトルコ。トルコとはチグリス・ユーフラテス川を巡って、そして今はクルド人でももめている。東はイラク。イラン・イラク戦争の時、シリアはイラン側についたためにイラクとは敵対関係になった(のちに和解へ)。だが、イラク戦争の影響で難民が流入したり、「テロリスト」がシリア経由でイラクへと入るなど、状況は複雑だ。

西はレバノンとイスラエル。レバノンには長く軍隊を駐留させていた経緯があり、非常に嫌われている。イスラエルは中東の多くの国から嫌われているが、シリアも例外ではない。イスラエル入国がパスポートでわかってしまったら、そのパスポートでは入国できない国はシリアを始め、いくつもある。ゴラン高原を巡る領土争いに、国連が介入しているが、決着はついていない。

南はヨルダン。ヨルダンは親米国家であり、その辺りでシリアとは馬が合うか…。これだけのことを聞いたら、大丈夫か?と思うかもしれないが、国内において治安は安定している。夜に出歩いても、基本的には問題がないほどである(ただし、ウマイヤードモスクでの銃撃戦や市内でヒズボラ幹部を爆殺する事件、貧富の差の拡大による市民の不満の燻りなどもあったと、JICAシリア事務所から注意するように言われた)。

しかしなぜ、このように政治的にゴタゴタとしているのか、という点について、ヨーロッパの占領政策が強く関係している。上で上げた国々は、かつて、オスマントルコ帝国として統一されていた。オスマントルコ帝国を破ったヨーロッパは、もうオスマントルコ帝国のような国が出来ないように、と混乱の種を植え付けようとした。そうして、北半分のシリアとレバノンをフランスが、南半分のヨルダンとイスラエルをイギリスが統治した。

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