杉原千畝は、日本の外交官。1900年に岐阜県八百津町で生まれた。早稲田大学高等師範部英語科(現在の早稲田大学教育学部英語英文学科)に入学したのち、在学中に外務省の官費留学生試験に合格する。
彼は、ロシア語を始めとする語学が堪能な優れた外交官であった。第二次世界大戦勃発前夜の1939年8月末から、バルト三国の1つリトアニア・カウナスの日本領事館の領事代理となった。
1940年7月18日早朝、ナチス・ドイツから逃れてきた200人以上のユダヤ人たちが、日本領事館を押しかけた。彼らは、日本を通過して第三国に逃げるためのビザを欲していた。
ビザ発給許可を願い出た千畝に対して、日本政府の回答はNO。日本政府がナチス・ドイツとの同盟を画策していたという時代背景や、ユダヤ人たちが十分なお金やパスポートを持たないといった手続き上の不備が理由だった。