犠牲者の数のロウソクを灯す人。撮影後、132名となった(筆者撮影、14日)

犠牲者の数のロウソクを灯す人。撮影後、132名となった(筆者撮影、14日)

「エッフェル塔は、キリがいい時間になると点灯するよ」と友人は教えてくれていた。不安を抱えながらも、窓から顔を出してエッフェル塔を眺めたのは、23時のことだった。

気がつけば、部屋から聞こえるサイレンの音は大きくなっていた。通りに面しているが、中庭側なので普段は外の音は聞こえない部屋だという。サイレンの音は、朝3時頃まで継続的に鳴っていた。時折、人が何かを叫ぶ声も耳に入った。空を飛ぶヘリコプターの音も数度聞こえた。

日本とパリの時差は、8時間。日付が変わった頃、日本の人々もパリの事件を気にかけだしたようだ。20時半にサッカー場で発砲があってからは、4時間ほど経過。「日本の報道はどうなっているんだ」という声が、ツイッターやフェイスブックで散見される。テレビでは普段通りの朝の番組が放送され、情報が入ってきていないらしい。だが、現地にてBFMテレビの前にかじりついている私でさえも、一体何が起こっているのかという状況であった。

段々と、市内のレストラン、劇場「バタクラン」、サッカー場を含む、7ヶ所での同時多発テロであったと判明していった。報道によると、私のいた友人宅の住所の「ボーマルシェ大通り」でも自爆テロがあったらしい。徒歩数分だ。途中でサイレンがかなり近くに聞こえる気がしたのは、そのせいだったのかもしれない。バタクランも、約300メートルの距離で、歩いて5分もかからない。もし外食することを選んでいたら、と思うと恐ろしい。

午前3時を過ぎても、オランド大統領、サルコジ元大統領、そしてテレビを点けた時から変わっていない女性アンカーが、テレビには映っている。ニュースの確認を続け、友人と眠りに着いたのは4時半であった。

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