「テロの目的は、人々の日常生活を壊すこと。人々は、日常生活を送ることによって、テロに屈しないというメーセージを示す」という論考を目にしたが、それが的を得ているかはわからない。強い意思は、見た目からは掴めなかった。ただ、人々が全く普段と変わらない趣だというのは、うわべの理解かもしれない。
追悼のために人々が集まったレピュブリック広場で、15日の20時ごろ、パニックが起きた。銃声のような音が引き金となり、警察が誤った警告を鳴らし、人々が走り出したのだ。手向けられたロウソクを倒しながらも走り出す人々の様子が、映像として報道されていた。パリ市民は表面上は気丈に振舞っていても、内心には不安を抱えている。そういう状況ではないかと思った。
「金曜日の夜を楽しんだ」それだけの理由で132名の命が奪われた、今回のパリ同時多発テロ。何かが少し違っていたら、私も巻き込まれていた可能性もあった。「日本のメディア批判」や「三色旗アイコン問題」を抜きにして、現場にいた日本人としての声を述べた。
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