白い庇(ひさし)の奥が、バタクラン劇場(筆者撮影、15日)

白い庇(ひさし)の奥が、バタクラン劇場(筆者撮影、15日)

翌日目が覚めたのは、朝の8時半。開いたフェイスブックは、パリの話題で持ちきりだった。昨夜同様、テレビでニュースを流しながら、スマートフォンを確認した。

「パリのディズニーランドは、今日は空いていないらしい」そんな記事を読みながら、朝食を食べた。流石に今日は観光はできないだろう、と思いながら、夕方前まで家で過ごした。

今のパリの様子と称した、もぬけの殻になっているパリの道路の写真をツイッターで見た。ただ、私と友人が家にいる間も、建物に人が出入りをしている音が数度聞こえていた。近くのスーパーへの買い出しも含め、少し外に出てみようと決めたのは、15時半頃。

おそるおそる外に出た私たちが目にしたのは、通りを普通に歩いているパリの人々だった。車が行き交い、自転車が通り抜け、大人も子供も歩いている。近所のカフェのテラス席も、満員ではないが、人々が座っていた。どこか拍子抜けしてしまうくらいだった。

レピュブリック広場、マリアンヌ像の下に集う人々(筆者撮影、14日)

レピュブリック広場、マリアンヌ像の下に集う人々(筆者撮影、14日)

「共和国」を意味し、大規模な集会も度々行われるという、レピュブリック広場。中心の女性像の周りには、花やロウソク、三色旗が手向けられ、人が集まっていた。14日夕方には中心に容易に近づくことができたが、15日には近づくことができないほどの多くの人で溢れかえった。また、劇場バタクランなどの現場の近くでは、多数の中継車と報道陣の姿がみられた。それらを除けば、人々は普段と同じ休日を送っているようにみえた。

テロから3日間は追悼のため、パリ市内の主要観光施設は閉鎖となった。エッフェル塔や凱旋門は外からは見ることができるが、ルーブル美術館やノートルダム大聖堂は中に入ることはできなかった。周囲には、銃を持ったミリタリーポリスの姿が散見され、張り詰めた空気を感じた。普段は混み合っているという公園も、警備のために封鎖。自由に座ることのできる、サン・マルタン運河のほとりでは、家族連れや若者がのんびりとした休日の午後を過ごしていた。

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