――「さとり世代」が生まれた背景とは何でしょうか。「ゆとり世代」とはどのように違うのでしょうか。
西田:まず、「ゆとり世代」は、ときに若年世代に対する侮蔑的な表現として使われることの良し悪しは別として、授業数削減など教育プログラムが変わったこともあり、ある程度は外形的に定義できます。
一方、「さとり世代」ですが、外形的な用件に乏しく、果たしてそのような「世代」は存在するのでしょうか。欲望がない人間など存在するはずがありません。欲望の対象が一人ひとりで異なっていることから、上の世代やマーケティング業界が若者に共通の特徴を把握できなくなりました。その結果、無理やり「世代」という概念で一括りにすることが難しくなったので、半ば強引に名付けたのが「さとり世代」の実態ではないでしょうか。
昭和の高度成長期に、3C(クーラー・自動車・カラーテレビ)と呼ばれた象徴的な欲望の対象があり、これらの耐久財について人々は憧れを抱きました。多くの人が同じ対象に欲望があったのです。
現在、一般的に定義付けられている「さとり世代」の特徴として、「欲望はない」とありますが、先ほども申し上げましたが、そんなことはありえないんおです。おそらく欲望の対象がまちまちになったため、共通の消費財やコンテンツでネーミングすることが困難になったのでしょう。個人個人の価値観で欲しいものを選ぶので、彼らの動向が分かりにくくなっているだけなのです。したがって世代の問題ではなく、むしろ社会の傾向ではないでしょうか。
―― 一般的には、若者は物を買わなくなったと言われていますが、さとり世代の消費行動において特徴はありますか。
西田:欲望の対象がまちまちなので、メガヒットは出ないでしょう。例えば、90年代には、ミリオンヒットを達成した曲がたくさんありましたが、現在ではほとんど登場しません。
昔は、「浜崎あゆみや安室奈美恵を聞きましょう!」といった流行が同調圧力のように働き、みんなで同じ曲を聞きました。だから、消費している対象者ごとの属性をカテゴライズしていくことが可能でした。
ですが、その消費がまちまちになってしまった。既存の趣味の組み合わせも変わってきています。昔は、「オタク」という言葉にインドアな印象がありましたが、現在ではたとえばアウトドアの志向を持ちながら、特定のコンテンツを消費したりする「オタク」も珍しくないでしょう。
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