さくらさんは阪神大震災のころは横浜に暮らしていたため、震災経験のない自分が取材で被災地に入ることにためらいを感じていたようだ。はじめは「申し訳なさでいっぱいだった」という。

そんな戸惑いを抱えながら訪れた所は「さんさカフェ」と呼ばれるコミュニティカフェ。ここで現地の人たちから温かなもてなしを受け、張り詰めていた心がほぐれていった。

脚本も執筆した馬場さくらさん、記者のお願いで「アメ」を手にしていただいた(11月16日 大阪にて)

さくらさん「見た目は変わっても大事なものは変わらない・・・震災後も当たり前のように(客人を)温かくもてなしてくれた南三陸の人たちの心を、溶けても味は変わることはない『飴(アメ)』に例えました」

出会った人々がそれぞれの登場人物に

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